本州から南に約1000キロ離れた「小笠原諸島」。
小笠原諸島はこれまでに一度も陸続きになったことがない海洋島で、独自の生態系が形成されています。小笠原諸島のような生態系は学術的な価値が高いため、島にどのような生物が生息しているかという情報は、生物を保全する上でも極めて重要です。
小笠原諸島の淡水エビに関しては、これまで10種が分布していると考えられていました。そうした中、摂南大学の福家悠介特任助教らから成る研究グループは、小笠原諸島でのフィールド調査を行う過程でいくつかの種の分布に関して疑問を持ちます。
同研究チームは野外調査と文献調査、標本の調査を実施。小笠原諸島に分布する淡水エビは10種ではなく8種と考えられると結論付けられました。この成果は『Cancer』に掲載されています(論文タイトル:ミナミテナガエビは小笠原諸島に分布するのか?)。
小笠原諸島の淡水エビ
本州から南に約1000キロ離れたに位置する小笠原諸島は、これまで一度も陸続きになったことがない海洋島。そんな小笠原諸島では独自の生態系が形成されており、中には小笠原諸島でしか見られない固有種も確認されています。
このような生態系は学術的な価値が高く、小笠原諸島にどのような生物種が生息しているかという基礎的な情報は生物を保全する上で重要な知見です。
淡水エビに関しては、これまでテナガエビ科とヌマエビ科合わせて10種(ミナミテナガエビ、コンジンテナガエビ、ヒラテテナガエビ、オガサワラコテナガエビ、コテラヒメヌマエビ、オガサワラヌマエビ、トゲナシヌマエビ、ヤマトヌマエビ、ミナミオニヌマエビ、ヒメヌマエビ)が小笠原諸島に分布していると考えられていました。
そうした中、摂南大学の福家悠介特任助教らから成る研究グループは小笠原諸島でのフィールド調査を行う過程で、いくつかの種の分布に関して疑念を持ち、小笠原諸島に分布する淡水エビ類の分布記録を再検討を行いました。
広域に分布するミナミテナガエビ
小笠原諸島から記録のある淡水エビの1種、ミナミテナガエビ Macrobrachium formosense は幼生期を生みで過ごす両側回遊型で、高い分散力を持つと考えられている種です。
小笠原諸島父島(提供:PhotoAC)実際、ミナミテナガエビの分布は日本の本州から琉球列島、国外においては台湾、韓国、中国と広範囲に及んでいます。また、いくつかの主要な文献ではミナミテナガエビが小笠原諸島にも分布すると記載されているようです。
一方、研究グループが行った小笠原諸島の調査では、ミナミテナガエビは全く確認されていません。そうした背景から、同研究グループは文献調査によりミナミテナガエビが小笠原諸島に分布しているという根拠について検討を行いました。
過去の標本を調査
文献調査の結果では、淡水エビ類を対象にした調査でミナミテナガエビが確認されてないことが判明。さらに、本種が小笠原諸島に分布することを述べた文献の源が、ドイツの動物学者である Heinrich Balss と日本の動物学者である三宅貞祥の文献であることも明らかになっています。
Heinrich Balss(1914)ではミナミテナガエビの小笠原諸島産標本は検討していませんでしたが、文献記録で“Ogasawara-Inseln Museum Tokio”といった記述が残っていたといいます。この記述は帝国博物館(東京国立博物館の前身)に小笠原諸島産のミナミテナガエビの標本があったことを示しています。
父島(提供:PhotoAC)後に帝国博物館の標本は現在の国立科学博物館に移管されているため、研究グループは国立科学博物館に収蔵されている1914年以前の小笠原諸島産のテナガエビ属の調査を実施。採集日不明(少なくとも1889年以前)のロットと1901年12月に採集されたロットが台帳から認められています。
いずれも Palaemon longipes(現在は使われていないミナミテナガエビの学名)として扱われており、前者の標本は現存することから形態を検討。その結果、ヒラテテナガエビと同定されました。
戦前の標本を再同定
和文の文献においては、三宅貞祥が小笠原諸島産をミナミテナガエビの分布域に含めたことが始まりとされています。
そこで、研究グループは三宅貞祥が小笠原諸島産の証拠標本を有していると考え、北九州市立自然史・歴史博物館に収蔵されている三宅コレクションを調査。その結果、1938年に小笠原諸島弟島にて採集されたテナガエビ属の標本が1ロット確認され、形態を検討した結果、ヒラテテナガエビに同定されています。
これらのことから、ミナミテナガエビが小笠原諸島に分布する確かな根拠がないことが示唆されました。
近年の調査でも小笠原諸島で本種が確認されていないことから、現状は小笠原諸島にミナミテナガエビは分布していないと結論付けられています。
外見での区別が困難なヒメヌマエビ種群
小笠原諸島に分布すると考えられているヌマエビ科のうち、ヒメヌマエビ種群に含まれる2種(ヒメヌマエビとコテラヒメヌマエビ)は外見での区別が困難です。その一方で、両種はDNA配列により明瞭に区別できることが示唆されています。
小笠原諸島においては両種とも記録がありますが、同時に報告された例はありません。そこで、研究グループは実際にヒメヌマエビとコテラヒメヌマエビが分布しているのか、DNAに基づく同定を行いました。
父島と母島の4水系から得られた16個体のヒメヌマエビ類をDNA解析に基づき同定したところ、すべてがヒメヌマエビであることが示されています。
このことは小笠原諸島にヒメヌマエビ以外のヒメヌマエビ種群が分布していない証拠にはならないものの、現状でコテラヒメヌマエビが小笠原諸島に分布する確かな証拠がないと結論付けられました。
明治時代の標本が現代の研究に貢献
今回の研究によりミナミテナガエビとコテラヒメヌマエビが小笠原諸島に分布しない可能性が示されました。
これにより従来、小笠原諸島に10種の淡水エビが分布すると考えられていましたが、文献調査・野外調査・標本を再検討した結果「8種と考えられる」ということになりました。
この成果は戦前、明治時代の博物館標本が分布域の再検討に貢献した例となります。
また、小笠原諸島の淡水エビに関しては今度も研究を重ね、淡水エビ相の実態や変遷を解明すべく継続的なと調査が必要とされています。
(サカナト編集部)