「ステラーカイギュウ」という生物を知っていますか。
ステラーカイギュウはかつて北太平洋の沿岸部に生息していた海獣で、体長はなんと最大で10メートルにもおよぶ巨体。ジュゴンをそのまま巨大化させたような見た目をした生き物だったそうです。
北の海の巨獣というだけでわくわくしてくるのですが、このステラーカイギュウは発見から30年も経たず絶滅してしまうのです。なぜいなくなってしまったのでしょうか。
北の海の巨大な海洋草食獣<ステラーカイギュウ>
ステラーカイギュウは、ジュゴンやマナティーと同じカイギュウ目に属する草食性哺乳類です。
ロシアの探検隊が発見した当初から、すでにコマンドルスキー諸島付近というごく限られた海域にしか生息していなかったのですが、こんにち発見される化石からその分布は日本列島からカリフォルニア州にまたがる北太平洋沿岸の広い地域に至っていたと考えられているといいます。
氷河期後の寒冷化した環境変化に適応し、海藻を食べながら生きながらえてきた北の巨大カイギュウですが、生態や性格から考えると、なぜここまで繁栄できたのかは不思議な気もします。
捕食者が少なかったからとも言われているようですが、北太平洋沿岸という海域の生態系がよほど彼らに都合がよかったのでしょうか。
西欧人と出会った頃にはすでにわずかな生息域に押し込められてしまっていたようですが、このような生物が長い期間にかけて広く存在できた生物史の変遷にも興味がわいてきます。
くちばしで岩に生えた昆布を食べる? 前脚の指の骨は完全に退化
ステラーカイギュウはジュゴンやマナティーとは異なり、歯が退化していて代わりに角質のくちばし状の板を持っていて、よく動く唇とこのくちばしで岩に生えた昆布を引きちぎって食べていたようです。
また、ヒレとなっている前脚の指の骨は完全に退化してなくなっており、長い期間をかけてこののんびりした海中生活に適応してきたと考えられてます。
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しかし、その穏やかすぎる生態がやがて悲劇の引き金となってしまうのです。
人類と出会ってしまったのが運の尽き……
ステラーカイギュウが発見されたのは18世紀、北太平洋沿岸を探検していたロシア帝国の調査隊によるものです。
当時ロシアは東方拡張政策を進めており、アラスカとシベリアの地理的調査、毛皮交易路の開拓、博物学的調査という大きな目標を持っていました。
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1741年、デンマーク生まれの博物学者ゲオルク・ヴィルヘルム・シュテラーは、同じくデンマーク出身の探検家ベーリングが率いる「第二次カムチャツカ探検隊」に参加。カムチャツカからアラスカ方面へ航海していた際に遭難し、漂着した無人島でこの未知の生物、ほか多数の発見を記録します。
シュテラーが見たステラーカイギュウは、驚くほど人間に対して無警戒だったそうです。陸に近い海域でゆっくりと海藻を食べ、仲間と寄り添いながら穏やかに暮らしていたと記録されています。
これは、彼らの生活史において大型の捕食者と遭遇する機会が少なかったことを示していると考えられています。
人類にとって絶好の「狩猟対象」に
しかし、その人懐っこい性質が災いし、ステラーカイギュウは人類にとって絶好の「狩猟対象」となってしまったのでした。
肉は牛肉のように美味で、脂肪は燃料としても利用可能、さらに皮はボートの防水素材として重宝したとされています。
急激に生息数が減少 ベーリングに消ゆ
ステラーカイギュウは1741年の発見から1768年までの短い間に、急激に生息数が減少していき、ついに絶滅してしまったとされています。
彼らは逃げることができず、群れで行動する習性があったため、狩りの標的になると簡単にまとめて捕獲されてしまったのです。
ステラーカイギュウは潜ることができず、狩りの対象とされてもうずくまることしかできず、メスが狙われるとオスが群れで寄ってきて刺さった銛やロープを外そうとしたそうで、まったく抵抗することができなかったようです。
それだけではありません。
この頃のベーリング海周辺では毛皮交易が活発になっており、アザラシやラッコの狩猟が増えていました。彼らはウニを好んで食べることで生態系において海藻の増殖を助ける役割を担っていたのですが、ラッコが急激に減ったことでウニが異常繁殖し、海藻の森が急激に減少したとされています。
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ステラーカイギュウは、間接的にも人間の出現によって生活を脅かされていたのです。その生態系は、極めてはかないバランスの上に成り立っていたのでした。
なお、ステラーカイギュウは発見場所が無人島だったこと、他の有人地域では見られなかったことから、西欧人が現れる前からすでに長い期間をかけて人類の生活圏から圧力を受けていたのではないかともいわれているようです。
消えゆくのはステラーカイギュウだけではない
現在、ステラーカイギュウはその化石や骨格標本の姿のみで知られています。もし彼らが絶滅せずに生き残っていたらどうなっていたでしょうか。
他のカイギュウ目の動物たちと同じように、人々に親しまれる存在になっていたのではという妄想はできます。
しかし現代の海洋環境の変化もまた、彼らが生きていた頃と比べても急な変動にさらされているといえます。あまり楽観的ではいられないのでは、とも思えます。
いずれにしても、環境に圧倒的影響力をもつ人間がどのように行動するか如何によって生態系は簡単に変わってしまいます。
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あるいは、どうでしょう。ステラーカイギュウのとぼけ顔がエコツーリズムの象徴となり、多くの人々がその姿を見るためにはるばる遠くからこの北の海を訪れるアイドルのような存在になっていた……。
そんな可能性もまたあったのかもしれません。
(サカナトライター:鈴川悠々)