海は「わからない」ことの宝庫です。
『深海問答』(川口慎介[2024]、エクスナレッジ)は、「海とは何か?」という根源的な問いから始まり、生命の起源、深海の謎、地球深部探査、海底資源、気候変動対策まで──地球規模のテーマを縦横無尽に探っていきます。
著者の川口慎介さんは、国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)の主任研究員として20年以上深海調査に携わってきた研究者。第一線に立つ川口氏にとっても、なお「わからないこと」が多いというのが海の実像です。
では、海を調べ、知ることで、どのようなことが見えてくるのか──本書で描かれるその広がりと奥深さに、まず圧倒されます。
記録的な猛暑となった今夏。その気温上昇も「海」と無関係ではありません。本書には、これからの地球に生きる私たちに深く関わる、約130の海にまつわる問答が収められています。
わからないまま飲み込む、大人の読書

本書では、中学生程度の理科知識を前提にしながらも、複雑な話題をあえて単純化せず、そのまま提示しています。単純化してしまうことで、こぼれ落ちてしまう大事なことがあるからです。その意味で、読者を信頼して書かれているといえます。
著者が前提とするのは「大人が読む」ということ。ここでいう「大人」とは年齢のことではなく、(世間の流行や大きな声に流されず)全体を知った上で、よりよい取捨選択ができるような人のことです。
海を科学的に知ることにおいても、そうした「大人」の態度が求められると著者はいいます。読書においても同じで、細部にこだわって立ち止まるのではなく、わからないところはわからないまま受け入れながら読み進める。四角いものを丸いものとして一度飲み込む──そんな柔軟さこそ、未知の海を理解するために欠かせない姿勢だと説きます。
次の読書が楽しみになる、地球を考える知の土台

こう聞くと崇高な専門書のように思えるかもしれませんが、実際にはそうではありません。ロジカルでありながらどこかマジカルな文体で、時折差し込まれるユーモアが読み手を惹きつけます。
思わず笑ってしまった表現は数知れず。
例えば──
「一番深いチャレンジャー海峡だけを調べていても『海とはどんなものか』という回答は得られない。これは、80億人のうち大谷翔平をいくらつぶさに観察しても『人間とはどんなものか』という答えにたどり着けないのと同じだ」
真面目な顔をして、ふいにポーンとこうした比喩で笑わせてくる。だからこそ油断できませんし、気づけばこの問答にのめり込んでしまうのです。
海のことを知れば知るほど、著者・川口慎介さんの人柄にも惹かれていきます。プロレスをはじめスポーツ好きで、SNSでは“海ゴリラ”としても知られる川口さん。
もし本人に会う機会があったら、「『深海問答』というタイトルは“コラコラ問答”や“猪木問答”から来ているんですか?」と冗談めかして聞いてみたい。読んでいるうちに、そんな親しみが自然と湧いてきます。
『深海問答』から次の学びへ
巻末には詳細な参考文献リストもあり、読者を自然に次の学びへと導いてくれます。
著者の願いは明快です。「わからないことだらけの海について考える仲間が一人でも増えて欲しい」──その想いは全編に通底しています。
『深海問答』は、海を題材にしながら地球全体を考えるための知の土台となる一冊です。読み終えたあとには、きっと視野が少し広がり、次の本を手に取るのが楽しみになっているはずです。