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江戸時代には握りずし誕生

すし職人(提供:PhotoAC)

1668年の「料理塩梅集」という資料には生成(なまなれ)から変化し、すし作りに「酢」が使われたと記されています。酢の利用により乳酸発酵を行わずに酸っぱさを出す「早ずし」が広まっていきます。

江戸時代後期の句には握りずしの記述も出てきます。現在では「與兵衛(よへい)ずし」で有名な初代・華屋與兵衛が握りずしを考案したのではないかというのが定説です。江戸に幕府が置かれ人口増加により魚介類の需要が増し、コハダ、アナゴ、アジ、キス……といった江戸湾で捕れる魚介類が貴重なタンパク源となります。こうして「江戸前ずし」が広まっていきます。

ファストフードなすし屋

この頃から明治にかけては屋台ずしが流行ります。今のようにお店を構えるすし屋は殆どなく、屋台ですしを売る、今で例えるならファストフードのようなすしが一般的でした。屋台ずしの繁盛と共に、魚に下味をつける過程を省き、生のままの魚の切り身をそのまま握るすし屋が出てきます。

旬の刺身を好む日本人にこれらはすんなりと受け入れられ、店側も売上向上とコスト削減になる合理的判断として、こうしたすしを主流としていきます。今日における客の好みに応じて素早くすしを握る江戸前ずしはこうして誕生しました。

そのような流れと冷蔵技術の発達に伴う魚介類の保存技術の向上により、次第にすしネタの種類も増えていきます。またそうした設備を置くためにしっかりとした店を持つすし屋が増えていき、徐々に屋台ずしはなくなっていきます。

滅亡寸前だったすしと握りずしの台頭

すし二貫(提供:PhotoAC)

その後太平洋戦争が勃発、戦況悪化と食糧不足により食糧統制が厳しくなります。当然すしの用意も厳しくなり、各1種類ずつのすしで1人前を揃えるのが難しくなってきました。

そこで1種類のすしを2貫出す店が現れ始めます。今では当たり前の1皿にすし2貫の由来はここにあると言われています。

戦後も食糧統制は続き、すし屋は営業が困難となります。そこで東京都鮨商組合が有志で東京都と警察に交渉し「委託加工制」の許可が降ります。これは客が店に米を持参し、それをすし職人が1人前(10個)の握りずしに加工しても良いというものです。

こうして厳しい状況の中、握りずしは生き残り、逆に握りずし以外の押しずしなどが扱えなくなり、現在も「すし=握りずし」となったのです。

現在のすし

委託加工制により徐々にすし屋が復活しますが、屋台ずしはなくなり、すし屋はやや高級なお店へとなっていきます。いわゆるハレの日の料理となり、ごちそうというイメージが定着します。しかしその後高度経済成長期を迎え、外食も当たり前になり、こうしたすしを格安で売る店が登場し始めます。

……このような長い長い過程を経て、現在皆さんが食べている「すし」の当たり前の姿が出来上がっていったのです。そして、今もすしは変化を続けています。

今日、フラッとその時の気分で気軽にすしを食べることが出来ますが、こうした歴史に想いを馳せると、いつも食べているすしが少し特別なものに見えてくるのではないでしょうか。

(サカナトライター:みのり)

参考文献

大川智彦、『現代すし学』 旭屋出版、2019

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みのり

みのり

センス・オブ・ワンダーを大切に

北里大学海洋生命科学部卒・元水族館飼育員。魚類・クラゲはもちろん、イルカの飼育も担当。非常に多趣味で、生き物観察やフィールドワークはもちろん、映画や読書、ゲームも好き。多趣味ゆえの独自の視点、飼育員視点を交えつつ、水生生物やそれを取り巻く自然環境、文化、水族館の魅力を発信していきます。

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