昆布は私たち日本人の生活に欠かせない食材です。
国産の天然昆布の9割以上は北海道産であり、「昆布=北海道」のイメージを持っている方も多いかと思います。
しかし、昆布の消費量に着目した時、意外な地域がランクインします。
富山県は昆布を多く消費する
昆布は日本食になくてはならない食材の1つで各地で昆布を使用した料理が食べられています。
沖縄県、大阪府、富山県は昆布の消費量は日本屈指であり、特に富山県はトップクラス。1996~1998年に昆布の一世帯当たりの年間支出金額おけるは日本一となっています(富山の家庭は、昆布、ぶり、たら、いかの消費額が日本一-富山県)。このことから、富山県には昆布を使った郷土料理が多く存在し、全国区となった料理も少なくありません。
しかし、日本海に位置する富山県ではツルアラメ、クロメなどのコンブ科が分布するものの、昆布の代表種であるマコンブやオニコンブは分布していません。
一体なぜ昆布が取れない富山県で昆布の消費量がこれほどまでに多いのでしょうか?
富山県で昆布が食べられている理由
富山県でこれほど多くの昆布が消費されているのはなぜなのか。
富山県と昆布の関係は江戸時代~明治時代まで遡ります。当時の日本では北海道~大阪を航海する北前船が活躍しており、各地で寄港し積み荷を売買して商売をしました。
北海道からは昆布や身欠きニシンなど海産物が積まれ、食文化の中心地である大阪へ運ばれ、瞬く間に日本各地へと広がります。
富山周辺も北前船の中継地点であり、昆布をはじめ様々な物品の取引がされました。
昆布ロードとは
当時、昆布は薩摩藩が琉球を介した中国との貿易において非常に重要な輸出品であったものの、昆布の入手を容易ではありません。そこで、薩摩藩は富山と手を組むことにします。
豊かな水源を保有する富山では売薬が伝統的な産業として知られており、薩摩藩は領内で薬売りを認める代わりに昆布の提供を求めたのです。一方、富山の売薬商たちは安く薬種を手に入れる方法を探しており、薩摩藩を介して中国の薬種が安く手に入ると考えました。
これにより北海道~富山~薩摩~琉球~中国まで及ぶ航路、通称「昆布ロード」が生まれたのです。昆布ロードの中継地であった富山では昆布の入手が容易であり、これに伴い昆布食文化が発展したと考えられています。
一方、昆布は薩摩との取引で重要な物品であったことからまだ庶民の味ではなかったという指摘もあるようです。実際、1934~1935年における昆布の消費量は福井県が1位で、富山県も少なくはないものの、福井県の消費量には及びません。
北海道開拓時代
富山県に昆布食文化が根付いた理由は北前船だけではなく、明治時代の北海道開拓も関係していると考えられています。
明治時代、北海道で行われた開拓では富山県から羅臼町へ多くの県民が移住しました。羅臼は現代でも昆布の産地として有名であり、羅臼昆布(オニコンブ)は昆布の中でも高級品です。
当時、移住した人々は昆布を富山へ送り、羅臼と富山の交流が生まれました。現代でも富山県では羅臼昆布が好まれており、郷土料理である「昆布締め」は羅臼昆布を使った郷土料理です。
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