筆者が魚を好きになったきっかけは、その生命力に感動した体験でした。
沖縄の海で子どもたちと釣った小さなヒイラギという魚。初めての釣りで、地元の子どもたちに教えてもらいながら釣り上げました(というほど大げさな魚ではないのですが)。
小さな体でピチピチと躍動する姿は、生命そのものが形をとった、生命力のかたまりのように思えました。
<生きる>ということを教えてくれたのは魚だった
最初にハマった釣りは海のボート釣りでした。浜から手漕ぎボートで、えっちらおっちらと沖に漕ぎ出して、20~30メートルくらいの水深のあたりで釣り糸を垂らす。
特に何を狙うということもなく、サビキやカッタクリで五目釣りをするのが好きでした。イワシ、ワカシ、ヒラメ、時折サバ…。今考えると当時は魚も豊かで、竿を出せば素人でもなにがしかは釣れたものでした。
中でも好きだったのは、やっぱり青物。夏のワカシ(35センチまでの小さなブリのこと)は、小さいながらもよく走ります。その引き味が、糸の先に生き物がいるのだということをまざまざと感じさせて、なんとも言えない驚きと感動を与えてくれたものです。
潮の具合でたまに巨大なボラの群れがやってくると連続して掛かって、それはそれで面白くも、重いし仕掛けは絡まってしまうわで、往生したものです。
そこのボラは臭くて、食べるのはちょっとためらわれたものでした。千葉の水のきれいなほうでは寿司ネタになると聞いて驚きもし、羨ましくも思ったことを覚えています。
その後、興味の対象が生き物そのものや、生物多様性といった方向に変化していきます。魚を通じて感じた生命の感触あってのことだと思っています。
「生き物が生きている」という当たり前の感触を五感で教えてくれたのが釣りであり、魚であったように思います。その意味で、魚は自分にとっての先生のようなものだったのかもしれません。
周囲の生きものたちに耳を傾ける
今では海釣りに行く機会がめっきり減ってしまいましたが、ボート釣りやSUPフィッシング、オカッパリのような、手の届く範囲での釣りを好ましく思っています。
しかし、東京近郊ではなかなか釣れないのが悩みですね。片足を海なし県の長野県に置いたので、これからは川釣りにも行けたらと思っています。
川の魚たちや、田んぼ、コンクリートで固められた用水路でもたくましく生きる生き物たちからも、何かを教えてもらえるように耳を傾けていきます。
このように、かつては釣りや水族館などで魚に親しんできましたが、現在は田んぼで生きる小さな生き物たちに惹かれています。田んぼの近くで生き物が集まれる湿地を作ってみたいと密かに考えています。
(サカナトライター:土屋ジビエ)