クラゲにまつわる思い出深いエピソード
━━これまでの研究人生で、特に思い出深いクラゲとの体験はありますか?
クラゲとの最初の出会いは、地元・大分県の河口で遊んでいた子ども時代に見たミズクラゲです。当時はただ「不思議な生きものだな」と思うだけでしたが、やはり研究を始めてからの出会いは格別ですね。
一番心に残っているのは、修士時代に練習船で瀬戸内海を航海した時のことです。夜、港で集魚灯を点けて生物採集をしていたら、灯りに「ヒクラゲ」が20、30匹と集まってきたんです。
ヒクラゲ(提供:公益財団法人黒潮生物研究所)━━それはすごい光景ですね……!
ええ。アンドンクラゲの親玉のような大きなクラゲが乱舞する姿は、本当に迫力があって、同時にとても神秘的でした。「日本にこんな生き物がいるんだ」と、心の底から感動したのを覚えています。
あの時の興奮は、今でも忘れられない、私の研究の原風景のひとつです。
「クラゲのように生きる」戸篠さんの今後の目標や夢
━━最後に、研究者として、また個人としての今後の夢を教えてください。
研究者としての夢は、日本のクラゲ全種、そしてそのポリプとクラゲの両方を網羅した「最高の図鑑」を作ることです。世界に誇る『日本クラゲ大図鑑』という素晴らしい本があるのですが、それに並ぶか、あるいはそれを超えるような図鑑をいつか出版したいですね。
また、個人的には、今回お話ししたような「クラゲの名前の由来」をまとめた本も作ってみたいです。名前の背景を知ると、その対象への愛着がグッと深まりますよね。そういう体験を、クラゲを通して多くの人に届けられたらなと。
━━クラゲそのものだけではなく、その周りにある文化や物語にも光を当てたい、と。
そうですね。そして、私自身の生き方としても、クラゲから学ぶことは多いです。クラゲは5億年以上も前から地球に存在し、シンプルな体の構造ながら、環境の変化に柔軟に適応して生き抜いてきました。その生き様は、時に不器用な私にとって、ひとつの道標のように感じられます。
環境の変化をピンチではなくチャンスと捉え、状況が悪いときはじっと耐え、好転すれば一気に行動する。そんなクラゲのように、したたかに、たくましく、けれど自由気ままに生きていきたい。それが、クラゲという生きものに少し憧れている、私の気持ちです。
海を漂うクラゲ、そして日本文化への“リスペクト”
ひとつひとつの名前に、日本という国や発見された土地ならではの文化、そしてクラゲそのものへの愛情を深く刻み込んできた戸篠さん。その言葉の端々から、悠久の時を生きるクラゲへの、そして失われゆく文化への、限りないリスペクトが感じられました。
クラゲのように生きたい──。その言葉は、変化の激しい現代を生きる私たちにとっても、深く心に響くメッセージではないでしょうか。
クラゲを見るときには、ぜひその名前の背景にも想いを馳せてみてください。
(サカナトライター:天草せりひ)
2