『海の賢者タコとくらす』(もち(2025)、さくら舎)は、一般家庭でタコを飼い、日々の暮らしを共にした記録を綴った実録エッセイです。
マダコを中心に10匹以上のタコと暮らした著者が、その経験をもとに、タコという生きものの愛らしい姿や意外な一面を、写真やイラストとともに生き生きと描き出しています。
本書は全4章にわかれ、巻末には「タコの飼い方」をまとめた特別付録も収録。タコとの運命的な出会いから、共に暮らす楽しさ、わがままな素顔、そして別れのときまで──タコとの日々を段階的にたどり、最後には飼育に役立つ実用情報が添えられています。
ともに暮らす「生活者」として描かれるタコ

『海の賢者タコとくらす』を読んでまず心を奪われるのは、タコの知性と豊かな感情表現です。
瓶詰めの餌を人が目の前で開けて見せると、やがて自分でも器用に瓶を開けられるようになる──そんなタコの驚きの学習能力はよく知られています。本書でも著者が実際に試しており、その飲み込みの早さに改めて驚かされます。
また嬉しいときには体色や模様を変え、不満があるときには、まるで「いじけている」かのように振る舞う。そうした姿を追ううちに、タコという生きものが、ぐっと近しい存在に思えてきます。
なかでも印象的だったのは、テレビや動画への反応です。餌となるカニの映像を食い入るように見つめ、マイケル・ジャクソンのダンスにはくねくねと体を揺らして“踊る”ように応える。暮らしの中でこそ垣間見えるユーモラスな姿がありありと描かれ、思わず頬がゆるみます。

読み進めるほどに「へえ」とうなずく発見があり、同時に日常を切り取ったユーモラスな視点に引き込まれます。
たとえば「脱皮=ファンサービス」といった表現や、「なでなでマップ」と称してタコの触れ方を紹介するくだりなど、ユニークで愛情あふれる観点が随所に光ります。タコを研究材料や食材としてではなく、ともに暮らす「生活者」として描く──その視点こそが、本書を特別な一冊にしています。
喜びと哀しみが交錯する「生きものとの時間」
さらに心に残るのは、心温まる体験談や観察記にとどまらず、タコ飼育の大変さや工夫についても誠実に綴られている点です。
水槽の設備や水質管理、餌の種類、そして“脱出の名人”であるタコに欠かせない蓋の工夫まで──試行錯誤の末に得られた知恵が、具体的で実感のこもった言葉で語られています。

楽しいばかりではなく、飼育には費用や手間がかかる上、別れのつらさも避けられません。タコの寿命は、わずか約1年。限られた時間の中で、著者は深い喪失感を抱きながらも、かけがえのない時間を“思い出”として手にし、なおも「これからもタコと暮らす」と綴っています。
喜びと哀しみが交錯する「生きものとの時間」こそ、本書の根底に流れるものです。それはタコに限らず、あらゆる生きものと向き合うことの大切さを、静かに教えてくれます。
タコ好きはもちろん、生きものと一緒に暮らすってどんな感じだろう?と気になる人にぴったりの一冊です。ページを閉じるとき、きっとあなたの心のどこかに、「いのち」と過ごす時間の重みと温かさが残り続けるでしょう。
(サカナト編集部)