日本では古くから西日本を中心に魚肉を使った練り物製品が数多く製造されてきました。
今回は鹿児島名物の「つけあげ」に焦点を当ててご紹介します。
「つけあげ」とは
「つけあげ」は魚肉のすり身に砂糖、地酒、豆腐を混ぜたもの小判型や棒状に成形した後に、油で揚げた黄金色の料理です。鹿児島県の郷土料理として知られている他、農林水産省の「農山漁村の郷土料理百選」にも選定されています。
「つけあげ」は魚肉を油で揚げるという料理法に加えて、調味料に砂糖を使っていることも大きな特徴です。これはかつてお客さんをもてなす際に「つけあげ」と砂糖を一緒に提供していたものを、次第に「つけあげ」の中に砂糖を入れたことが始まりと言われています。
では、この「つけあげ」はどのようにして誕生したのでしょうか。「つけあげ」のルーツには2つの有力な説があります。1つは、沖縄の魚のすり身をゴボウなどと一緒に油で揚げた料理である「チキアギ」を元祖とする説です。当時、薩摩藩と沖縄は交流が多く、すり身を油で揚げる調理法が伝わったとされています。
もう1つの説は、11代薩摩藩当主「島津斉彬」が既に各地に伝わっていた「はんぺん」や「かまぼこ」を参考に、高温多湿な鹿児島県でも保存が効くように油で揚げたことが始まりとする説です。
どちらの説にしても、「つけあげ」の元祖となる食品が既に存在していたのは面白いですね。
炒めものやおでんの具としても活躍
さて、「つけあげ」の主原料は魚肉ですが、一体どのような魚が使われているのでしょか。
一口に魚肉といっても実に多くの魚が使われています。「つけあげ」の原料に使われる魚は主にトビウオ、アジ、サバなどが知られていますが、ハモ、イトヨリダイ、エソ科、ニベ科の魚も使われることもあります。様々な魚が使われるのは、練り製品の誕生が「たくさん獲れた魚を有効活用するため」だったとも推測できます。
鹿児島県で発展してきた「つけあげ」ですが、今もなお愛されているのは味もさることながら、調理法が多種多様であることも理由の1つではないでしょうか。「つけあげ」はそのまま食べても美味しいですが、各種料理の具材としても利用されています。「つけあげ」自体に味が付いているので炒め物やおでんはもちろんのこと、麺類や野菜とも相性抜群です。
似た料理でも各地で名前が異なる
薩摩藩で誕生した「つけあげ」はやがて江戸に伝わったことで関東にも広まっていきます。関東では薩摩からきた「つけあげ」ということで「さつま揚げ」と呼ばれるようになりました。現代でも関東ではこの呼び名が一般的ですね。
また、西日本では「つけあげ」以外にも各地で魚肉のすり身を油で揚げた郷土料理が伝承されています。
例えば愛媛県には「つけあげ」によく似た郷土料理があります。愛媛県では魚肉を油で揚げたものを「天ぷら」と呼び、雑魚を使った天ぷらであることから「じゃこ天」と呼ばれるようになりました。
「じゃこ天」の原料にはタチウオ、アジ、ホタルジャコが使われますが、ホタルジャコが最も良いとされており、ホタルジャコのみを使った「じゃこ天」も製造されています。また、「じゃこ天」は「つけあげ」とは異なり、骨もろとも練り込んでいるためジャリジャリとした食感を持つことが特徴です。
ツケアゲが由来になった魚がいる?
近年、鹿児島県名物である「つけあげ」が名前の由来になった魚がいるのを知っていますか。
「つけあげ」の名が付いたのは「つけあげ」の原料にもなるエソの仲間です。2020年に鹿児島県から得られた標本をもとに日本初記録種および北限記録として報告されたマエソ属のSaurida undosquamisは黄金色の体色が「つけあげ」を彷彿とさせることに加えて、「つけあげ」の原料にエソ科の魚が使われていることからツケアゲエソと命名されました。
郷土料理の原料に未知の魚が使われていたということで、話題となり地元紙やネットニュースでも取り上げられたと同時に「つけあげ」という呼び名が全国に知れ渡るきっかけにもなりました。
このように普段何気なく食べていたものが実は新種、日本初記録種であったという事例はたびたび報告されており、日本近海に生息する生物の多様性の高さを示唆しています。
かつて、鹿児島県から江戸へ伝わった「つけあげ」ですが、現代ではどのスーパーでも簡単に手に入れることのできる食品になりました。時にはその歴史について調べてみるのも面白いかもしれません。
(サカナト編集部)