有明海塾での保全活動
━━━海外に頻繁に行くようになった時期に、若くしてやながわ有明海水族館の館長にも就任されていますね。これはどういった経緯で。
小宮:まず高校で生物部に入っていたんですが、顧問の先生も別にやる気があったわけでもないので、自分で考えて活動していたんです。放課後や休日に勝手に調査に出かけたりしてました。高3の時に、よく出入りしていた筑後川防災施設〝くるめウス〟の館長とも親しくなって、「夏にいろいろな高校生物部が集まって発表をする河川愛護活動報告会があるけど参加してみる?」と言われたので、個人で参加させてもらったんですね。たまたまそこに伝習館高等学校という他校の部活が発表に来ていたので、そこの先生のつながりで〝有明海塾〟を紹介してもらったんです。有明海塾は、近隣の高校生やそこから進学した大学生などが集まって、有明海の自然をどうにか再生していこうみたいな学生団体で、ちょうど発足のタイミングから関わるようになりました。
そこから初めてちゃんとした研究活動に参加できるようになったので、受験勉強をしつつ、保全活動がスタートしました。若者たちの発信の拠点になるような施設が必要だという話もずっとしていましたね。
その頃、筑後中部魚市場の元市場長の方が、やながわ有明海水族館の前身となった、おきのはた水族館を運営されていました。その方は、「有明海が悪くなっていくのを、どうにかしないといけない」と言って、有明海の再生を目指していた方です。それが80歳ぐらいになって自分の代で有明海をよみがえらせることはできないと考え、今の活動を次世代に伝えるための施設を作ろうということで、自費で水族館を建てたんです。めちゃくちゃすごい話だと思います。
2016年頃に体調を崩されてしまい、施設を維持することができないということで、おきのはた水族館は閉館してしまいました。ただ建物自体は残っていたので、私が関わっていたNPOで引き継げないかお願いをしに行くことになったんです。その流れで有明海塾、若者主体で引き継ぐことになって、しかも、その時ちょうど一番自由に動けるポジションにいたのが私だったんですね(笑)。その施設をやながわ有明海水族館にして、館長という立場で携わることになりました。
━━━なるほど。では有明海塾で保全活動をしていた時、具体的にどういったことをしていましたか。
小宮:有明海塾での活動は上部にNPOがあったので、そこが行う有明海の再生実験のお手伝いがメインでした。例えば、森里海連環学(森から海までを一つのつながりとして考え、保全方法を研究する分野。京都大学フィールド科学教育研究センターが提唱)みたいなところで、海にフルボ酸鉄(山の木などから溶け出す腐植酸)が足りないので、フルボ酸鉄を直接海に供給してみたらどうなるかを調査するために、供給する区画としない区画を作って、どれぐらいの差が出るかを見たりしました。あと25cmの範囲の砂を採ってきて、その中のアサリをカウントするとか、そういうちょっと研究的な分野が多かったです。さらに、もっと直接的にできることはないだろうかと考え、有明海そのものではないんですけど、例えば流入河川でのブラジルチドメグサの防除活動など、交通費を少し援助してもらったりしながら、周りの学生たちと一緒にやり始めたりもしました。