日本では各地で魚肉を使った練り製品が独自の発展をしてきました。焼いたものをちくわ、揚げたものをさつま揚げ、茹でたものをはんぺんと呼び、現代に至るまで日本人に愛されています。
今回は日本の練り製品の中でも有名な「小田原のかまぼこ」についてご紹介します。
かまぼこの歴史
かまぼこの歴史は非常に古く、平安時代(1115年)の宴席で振舞われた料理の中に「蒲鉾(かまぼこ)」が登場しており、これが最も古い文献とされています。「日本かまぼこ協会」はこの文献が登場した1115年に因み11月15日を「かまぼこの日」に制定しました。
当時の蒲鉾は現在のものとは異なり、魚のすり身を焼いた現代で言う「ちくわ」のようなものだったと言います。その様子が沼などに育つ蒲の穂に似ていることから蒲鉾、または蒲や鉾の形に似ていることから「蒲鉾」と呼ばれるようなったとも言われてますが、どちらの説が正しいのかは不明です。
他にも神功皇后が魚のすり身を鉾の先に付けて焼いたことが始まりという説もあります。
小田原でかまぼこの製造が盛んになった理由
では、現代の我々が食べているかまぼこはいつ頃から登場したのでしょうか?
室町時代には現代のかまぼこの形である板付けのかまぼこが登場したと言われています。しかし、この頃作られていた板付けかまぼこは、いわゆる「焼きかまぼこ」であり、室町時代中頃の書物では材料にナマズを使用していたとも記されています。
小田原では室町時代から既にかまぼこが作られていましたが、江戸時代後期になるとかまぼこの製造が盛んになりました。小田原でかまぼこの製造が盛んになった理由は2つあると考えられています。1つはかまぼこを製造する上で欠かせない工程である「水さらし」に必要な水資源に恵まれていたこと、もう1つは相模湾で多くの魚が漁獲されていたことです。
江戸では小田原式の蒸しかまぼこが主流となり、関西式の焼きかまぼこは廃れていきました。また、かまぼこは大量に獲れた魚を保存するための保存食でもあったそうです。
かまぼこの原料は深海魚だった
江戸時代の小田原では高級かまぼこの原料として小さいムツやギスを使用してきました。
小ムツはムツの幼魚のことで、ギスとはソトイワシ目ギス科に属する深海性の魚です。ギスは北海道から九州の水深200メートル以深に広く生息し、60センチ程の大きさになります。主に底引き網や釣り(延縄漁)で漁獲されますが、鱗が非常に剥がれやすいため底引き網で漁獲された個体は、鱗がほとんど無い状態で漁獲されます。反対に鱗が残っているギスは釣り物の証でもあるのです。
また、小田原ではギスを別名「オキギス」とも呼ぶことからシロギスの仲間のようにも聞こえますが、全く別のグループに属するので注意が必要です。
ギスを使って作られたかまぼこは真っ白で独特な弾力を持つことから江戸のかまぼこ職人を魅了しましたが、次第にギスの漁獲量は減っていきました。現在ではギスを使って作られるかまぼこは少なく、ギスを専門に狙う漁師さんも1人だけといいます。
主原料はシログチ
現在、かまぼこの原料にはスケトウダラやイトヨリダイなどの魚が使われていますが、小田原のかまぼこは東シナ海や済州島などで漁獲されたシログチ等のニベ科の魚(関東ではイシモチ)を使用しています。大正時代にはニベ科の魚を使ったかまぼこが誕生していたと考えられており、現代でも小田原の高級かまぼこの原料として重宝されています。
かまぼこは時代によって使う魚を変化させてきました。かつて、小田原のかまぼこにギスという深海魚が使われていたというのは意外と知られていません。現代でもギスとグチを組み合わせた小田原のかまぼこが製造されています。伝統的なかまぼこの味がこれからも継承されていくと良いですね。
(サカナト編集)