春が近くなりニシンのニュースをテレビやネットで見られるようになってきました。
ニシンは「春告魚(はるつげうお)」とも呼ばれる春の訪れを知らせてくれる魚であると同時に、北海道を語る上で欠かせない魚でもあります。
この記事ではニシンの歴史や春告魚と呼ばれる由来についてご紹介します。
北海道の漁業を潤したニシン
ニシンはニシン目・ニシン科に分類される海水魚です。ニシン目の中では大きくなることが知られており、体長は35センチ程。日本では北方を中心に刺し網や定置網で漁獲され、非常に重要な水産資源として知られています。
また、北海道では「カド」または「カドイワシ」とも呼ばれているそうです。
北海道は今も昔もニシンの一大産地で、最盛期は明治~大正だったそう。当時の漁獲量は100万トン近くあり、北海道の漁業を潤し、北海道の漁師はニシンで巨万の財を築き上げました。ニシンで栄えた名残はニシン御殿として現代も残り続けています。
江戸中期~明治にかけては北前船と呼ばれる交易船が大阪―北海道で運航しており、各地で様々な物資が取引されていました。当時、北海道では稲作が発展していなかったため稲や藁を北前船で手に入れ、北海道からはニシンを輸出していたそうです。
冷蔵技術が未発達であった当時は、鮮度の低下が早いニシンを「身欠きニシン(頭と内臓を取って乾燥させた状態)」に加工し保存性を高めました。「身欠きニシン」は北前船に積まれ、北海道から遠く離れた地でもニシンを食べることができたのです。
ニシンは日本人の生活に欠かせない
かつて、北前船で運ばれた「身欠きニシン」は京都に伝わり、ニシンと蕎麦と組み合わせた「にしんそば」が誕生しました。「にしんそば」は京都名物の一つで、身欠きニシンの甘露煮を丸ごと蕎麦に乗せた豪快な料理。京都府内だけではなく府外の人々からも愛されています。
寿司ネタや正月に欠かせない「数の子」はニシンの卵巣。特に昆布にニシンの卵が付いたものは「子持ち昆布」と呼ばれ、縁起物として重宝されます。子持ち昆布はニシンの産卵場所にあらかじめ昆布を吊るして置き、ニシンがぶつかった物に産卵する習性を活かしたものです。
海が白に染まる<鰊群来(にしんきく)>
ニシンは春の産卵期になると沿岸部に出現することから、春告魚と呼ばれているとともに春の季語としても知られています。
この時期、北海道沿岸ではニシンが大群で押し寄せ繁殖する行動がみられ、接岸した雄のニシンの精子で海が白に染まる光景は圧巻。この現象は鰊群来(にしんきく)と呼ばれ、北海道の風物詩とも呼べるものです。
明治~大正では3~6月にかけて産卵する「春ニシン」の群来が北海道各地で目撃されていたそうですが、昭和30年代前半以降「春ニシン」は幻の魚となってしまいました。ニシンが姿を消した理由は群れの北上や漁獲圧によるものだと言われています。
現代ではニシンを獲りすぎないように資源管理が行われている他、稚魚の放流活動も活動も盛んです。さらに鰊群来は現在も北海道沿岸で観測されており、今年の2月28日には積丹半島の西側に位置する神恵内村で70年ぶりにニシンの群来が確認されています(春告魚が日本海を白く染め 約70年ぶりニシン「群来」 北海道・神恵内村-産経新聞)。
このようにニシンは現代に至るまで我々の生活を支えてきました。ニシンの資源を守るために引き続き適切な資源管理が望まれます。
(サカナト編集部)