小さないきものたちをバックヤードでせっせと育て、十分な大きさに育つと展示水槽に送り出していく。
そんな「完成」をかつては目指していたこともあった。
完成された水槽だけがお客さまの目に触れ、写真を撮ったり、椅子に座ってじっくりと眺めたり、それぞれの方法で時間を過ごしている。
一方、飼育スタッフというのは、1日のほとんどを人目に付かないバックヤードでひっそりと(けれども慌ただしく)過ごしていることが多い。非常に活動的な引きこもりだ。
日々いきものたちの一生と向き合っている私たちは、完成された水槽の外にあるドラマをたくさん知っていた。だが残念ながら伝える手段を知らなかった。
丸見えになったバックヤード
転機は今から約6年前、開館以来初めてとなるクラゲ展示エリアの大規模リニューアルを迎えてのこと。
「ここのバックヤードの壁を無くそうと思う」
予想外の提案に一瞬、反応に困った。壁が無くなるって……?
かつて壁があった場所、奥に見えるのがバックヤード(提供:京都水族館)今まで展示を維持するための過程にしかなれなかった時間も空間も、それに取り組む私たち飼育スタッフもすべて展示になる。すなわち、丸見えってこと。
こうして京都クラゲ研究部は始まった。
壁を無くしたからといって、我々飼育スタッフだっていきなり何でも適応できるわけではない。
ましてや常に人前に立っているイルカやオットセイのトレーナーとは違うわけだ。手探りの日々が始まる。
「何を置く?」「何を話す?」「何を見てもらう?」──でも二言目には「とりあえずやってみるか!」と飼育スタッフにありがちなポジティブ思考で挑戦していくが、簡単には解決できない。
「クラゲのごはんは……」本当に知りたいことは何だろう。
「傘の模様が……」何を話せば喜んでもらえるんだろう。
展示を見るだけではなく何か情報として「持ち帰るもの」があってほしいと、自分なりに考えて言葉を紡ぎつつも、心の中にはいつも迷いがあった。
ある時、目の前のお客さまに何を話すか迷った際、とっさに手に持っていたカップをそのまま見せた。
「今日生まれたクラゲの赤ちゃんです」
思わず釘付けになるお客さまたち。「なにこれ?」「初めて見た」「形が全然違う」「どうやって生まれるの?」──これだ。
これが、京都クラゲ研究部での展示が1つ決まった瞬間。お客さまが知りたいのは、自分で調べて答えを得られるような情報ではなく、「今、ここで起こっていること」だったのだ。
京都水族館では、その日に遊離したばかりのクラゲを見ることができるようになった。
お客さまとの会話がきっかけで生まれた展示(提供:京都水族館)飼育スタッフとして過ごしていくうちに、あらゆる「不思議」はありふれた「日常」になってしまう。だからこそ日々お客さまから投げかけられる疑問のなかから私たちも気づきを得て、過ごしていかなければいけないのだと思った。
お客さま自身も重要なピースの1つとなり、京都クラゲ研究部は成り立っている。
クラゲはどうやって生まれるのか
当館のクラゲ展示のこだわりのひとつは、繁殖。つまり水族館生まれのクラゲを展示していることだ。ここでは常に約30種類、数千個体のクラゲを飼育しているが、その9割以上のクラゲたちは海を知らない。
残りの1割に満たないクラゲたちも、繁殖目的で搬入したクラゲや、季節特有のクラゲを採集したものだ(こちらもあわよくば卵をとりたい)。
普段は控えめなスタッフたちも、とにかくクラゲの繁殖に対しては常に前のめりである。
「研究部」と名乗るからには、やはり研究テーマというものが必要になる。クラゲの繁殖に取り組む以上は繁殖方法の解明は永遠の課題だ。
クラゲの繁殖について語るには、クラゲの一生について説明しなくてはならない。目にする機会の多い「ミズクラゲ」を例に見ていきたい。
ミズクラゲの生活環を表したイラスト(提供:六浦 文)まずは雌雄の親クラゲから生まれた受精卵は、やがて「プラヌラ」という幼生になる。プラヌラ幼生は1ミリにも満たないごくごく小さな楕円形に細かな繊毛が生えたような姿をしている。海流に乗り、親元を離れてはじめての大航海のはじまりだ。
けれども、この冒険は長くは続かない。
しばらく海の中を漂ったのち、環境の良い岩場や海藻など気に入った場所に着底すると「ポリプ」へ変態する。ポリプは小さなイソギンチャクのような姿だ。何かにへばりついて、触手をそよそよとなびかせている。
多くの人々が想像するクラゲのイメージとはあまりにもかけ離れており、何も知らずに見ればこれがクラゲだとはとても気づかないかもしれない。しかし、クラゲが過ごす一生のほとんどはこのポリプ時代だ。
そこから繁殖に必要な条件が整うことで、ポリプに変化が起き始める。ポリプの体にいくつものくびれができるのだ。次第にくびれは深くなり、まるでお皿を何枚も重ねたような形状になる。この姿を「ストロビラ」という。
ストロビラは赤っぽく色づき、花びらのような一枚一枚が新しいクラゲとしての旅立ちを待っている。
やがて先端の一枚がひらりと剥がれ、「エフィラ」となる。縁に切り込みの入った姿は花や雪の結晶に例えられることが多い。
エフィラが成長すると、歯車のような形の「メテフィラ(幼生と成体の中間の姿)」を経て、成体の「メデューサ」となる。そう、このメデューサこそが、みなさんがよく知るいわゆる「クラゲ」の姿。逆に言えばメデューサ以外を知らない人は多い。クラゲは一生の中で姿かたちを大きく変えながら生きている。
私たちはポリプの姿になったクラゲたちを管理し、エフィラを得ている。管理というのは主に、ごはんを与え、水を換えること。そして、繁殖に必要な刺激を与えることだ。それは海水の塩分の違いだったり、水温の変化だったりするが、求める刺激はクラゲの種類によって異なる。
勘のいい方はもう気づいたかもしれない。繁殖の成功にはこの刺激の特定がカギとなる。
大型クラゲの安定した繁殖を目指して
当館では2021年から「アトランティックベイネットル」の繁殖に取り組んでいた。聞きなじみのない名前だが、日本の海にはいないクラゲで、北アメリカの東海岸からメキシコにかけて生息する。白く半透明の傘とそこから伸びる長い触手が美しい大型のクラゲだ。
本種の最大の特徴としては塩分の低い汽水を好み、外洋から離れた河口や湾に生息していること。当館で使用している海水は、人工海水で33~34‰(*)程度の塩分だが、アトランティックベイネットルの飼育に適した20‰の汽水を機械で作ることはできないため、毎日淡水と海水を手作業で混ぜて水換え用の水を作っている。まるでVIP待遇だ。
*‰:パーミル、千分率。1000分の1を1とする単位。
触手をなびかせながら漂う姿が非常に美しいアトランティックベイネットル(提供:京都水族館)当時、アトランティックベイネットルのポリプからは定期的にエフィラの遊離があったが、確実にストロビレーションを起こすきっかけのようなものは掴めておらず、欲しいタイミングにエフィラを得られない──いわば制御不能な状態にあった。
そんな時、アトランティックベイネットルの担当になった。夢にまで見た大型水槽のクラゲの担当だ。小さなクラゲももちろん魅力的だが、大きな水槽を指さし「わたしが育てたクラゲだ」と思えるのは喜びもひとしおで、ロマンがある。と同時に、責任も重くのしかかる。
こうしてアトランティックベイネットルのポリプと向き合い始めた。この手のポリプのストロビレーションに必要なのは水温変化の場合が多いので色々なパターンを試してみることにした。
普段アトランティックベイネットルのポリプは丸いスチロール容器に入れ室温で管理している。同じ鉢虫綱の仲間であるミズクラゲやアカクラゲは室温から10℃へ移動することでストロビレーションが起きるので、ひとまず10℃で飼育してみた。
結果は失敗だった。最初こそ調子がよさそうに見受けられたものの、1週間もしないうちにポリプはみるみる縮み、消滅してしまった。アトランティックベイネットルには10℃は寒すぎたのかもしれない。次は15℃で試してみることに。
アトランティックベイネットルのポリプ。成体からは想像できないくらい小さい(提供:京都水族館)10℃のポリプと比べると、今度はなんだか大丈夫そうだ。ポリプの触手も伸びているし、ごはんも問題なく食べている。
でも大変なのはこれから。この水温でポリプの状態を数か月維持しないといけない。15℃へ移動してから3日に1回ほどごはんと水換えをしていて分かったことがある。室温で管理していたころに比べて繊細だ。
水温が低いので室温で管理していた頃と比べて食べる量が少ない。与えるプランクトンの量がわずかに多かった場合、食べ過ぎて消化ができず、水換えの後に未消化物を吐き出して水を汚す。スチロール容器で水を循環させずに飼育しているポリプにとって水の汚れは命取りだ。ポリプの体調に常に気を配りながら慎重に管理を続けた。
15℃に水温を下げてから、1か月、2か月、3か月で室温に戻せるようそれぞれ容器を用意した。冷却期間に問わず、ごはんや水換えは同じように行った。1か月もしくは2か月間冷却し室温に戻したポリプは、その後2~3か月間室温で過ごしたがストロビレーションしなかった。
一方で、3か月間冷却したポリプは、10~23日程度でストロビレーションが起き、約1か月にわたりエフィラの遊離が続いた。アトランティックベイネットルのエフィラはとても小さく透き通っているので、見落とさないように慎重に水換えをする。
アトランティックベイネットルのエフィラ(提供:京都水族館)「良いクラゲは良いポリプから」と皆が口を揃えて言うほど、遊離するエフィラの状態はポリプの状態に依存する。
冷却期間に入る前に、25℃に水温を上げ、1~2か月程度肥育させたものも用意してみた。こちらも同じく冷却期間が3ヵ月のポリプから遊離があった。大きく立派なポリプから遊離するエフィラは心なしか拍動も力強いように感じた。
アトランティックベイネットルのポリプの検証には丸1年の時間を要した。今後の展示水槽を京都水族館で生まれたクラゲで途切れることなく満たしていくために必要な検証だったと思いたい。こうして安定して繁殖できる種を増やすよう取り組んでいる。
ハナガサクラゲが採れた!
ある日、大水槽に入れる魚を集めに乗船採集に行っているスタッフから連絡が入る。
「あぁ、今年も採れたんだな」
クラゲ採集は一般的に潮の満ち引きに合わせ、漁港などで行う。流れ着いたクラゲを柄杓で掬う形で採集することが多い。だが、このクラゲは例外だ。
京都の海で採集されたハナガサクラゲ(提供:京都水族館)色鮮やかな蛍光ピンクと黄緑の触手が一際目を引く「ハナガサクラゲ」。定期的に同行する漁船の船上から定置網に入ってしまった個体を採集している。
ハナガサクラゲは繁殖方法が明らかになっていないクラゲとしても知られている。今年は状態のいい生体が複数個体入手できたため、採卵に挑戦することになった。
ハナガサクラゲは触手の一部が光る(提供:京都水族館)多くのクラゲは明刺激によって産卵が行われるので、ハナガサクラゲをコンテナに移し、朝6時に明かりが点くようにタイマーを設定する。卵がろ過槽に吸い込まれないよう、流れのないコンテナで一晩過ごしてもらう。
翌朝、コンテナ内に浮遊している卵を容器へ集める。ここで上手く受精しているかどうかはハナガサクラゲ次第だ。
ハナガサクラゲの採卵の様子(提供:京都水族館)採卵から2日経った容器には、小さなプラヌラが見えた。ひとまず最初の関門は超えたらしい。
中央に見える米粒のような白い楕円形がプラヌラと思われるもの(提供:京都水族館)ハナガサクラゲのポリプは非常に珍しく、世界的にも数か所の施設でしか保有されていない。京都水族館もそのひとつに入れるだろうか。今は祈ることしかできない。
未完成だから進化する
京都クラゲ研究部は「未完成」だ。
繁殖も育成も、過程をすべてさらけ出しているからこそ、時には「うまく育たないんだよね」と悩みが聞こえることもある。
でもそれは決して悪いことではないと私は思っている。いつもクラゲと本気で向き合っているから色々な思いが生まれ、そして小さな進化を重ねている。
私はそんな「未完成」を磨き続けていきたい。

むつうら あや●2019年、京都水族館に入社。
魚類ユニットに所属しクラゲの飼育を担当する。館内外のイベント登壇や京都水族館ウェブサイトでのコラム執筆を行うなど、飼育業務にとどまらず、日々クラゲの魅力を多くの方に届ける業務に勤しむ。いちばん好きなクラゲはアカクラゲ。