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コラム

水族館は「作れる」-変わった視点から見た水族館-【連載:わたしと水族館】

水族館は、不思議な場所です。同じ水槽を見ていても、そこに映るものは人それぞれ。魚の姿に心を奪われる人もいれば、静かな時間に安らぎを感じる人もいます。研究の対象として向き合う人、仕事の現場として日々関わる人にとっては、また違った景色が見えていることでしょう。連載「わたしと水族館」では、さまざまな立場の書き手のみなさんに、水族館にまつわるエッセイを寄せていただきます。今回は、きんたい廃校博物館・館長の大橋一輝さんにご寄稿いただきました。

わたしは、大阪府八尾市にある廃校の一室を利用した小さな水族館である「きんたい廃校博物館」の館長を務めている。同じく八尾市にある、八尾長屋水族館の立ち上げに関わったこともある。どちらも、地域の魚の魅力を伝えるために立ち上げた小さな水族館だ。

「動物園か水族館で働く」──これは、小学6年生くらいの時に何かの授業で書いた将来の夢。

生き物が好きになった頃の私(提供:大橋一輝)

しかし今思えば、中でも“水族館”に関する一番最初の記憶を思い浮かべると「怖い」という感情が印象的だ。

大きな水槽、薄暗い館内、泳いでいる自分より大きな魚──どこの水族館かも覚えていないが、とにかくそのような感情があったことは鮮明に覚えている。

そんな自分が、水族館の館長となったのは、“自然との触れ合い”がきっかけだった。

進路を選んだ動機は「動物園か水族館で働きたい!」

その後、実家から通えて、生き物について学べる大学に進学した。大学を選んだ理由は「動物園か水族館で働きたい」という考えを実現させるためだった。はじめは動物園で働くほうに気持ちが傾いていたが、あることを期に一気に魚の道に進むことになる。

きっかけは大阪府八尾市に生息する絶滅危惧種だった。おそらく大学2回生の時にその保全活動に参加し始め、私は「魚がいるフィールドの楽しさ」を知ってしまったのだ。

いつかのフィールド調査風景(提供:大橋一輝)

初めてその活動に参加したのは、前日まで雪が降っていた2月のこと。

同じ八尾市内とはいえ山手の方にはなかなか行く機会がなく、冷たい風の中を自転車で迷いながらなんとか現地にたどり着いた。先輩方の説明を聞き、周りにまだ雪が残るため池の中に入って、素手を入れて生き物を探した。水は信じられないほど冷たく、指先は痛くなり、気づけば腕は真っ赤になっていた。生き物について知らないことばかりで恥ずかしさもあった。

でも、何より楽しかった。

水槽のガラス越しではなく、泥だらけになりながら自分の手で生き物を探り当てる感覚は、それまでの水族館の思い出を上書きするほどの強烈な体験だった。そこから本格的に魚のことを学び始め、卒業研究でも地域の魚類相をテーマに選ぶほど、魚に魅了されていた。

卒論発表の様子(提供:大橋一輝)

しかし、水族館で働くことは諦めた。将来のことを考えると「水族館で働くのは安定的でない」と判断したこと、「水族館で働かなくても地域の魚と触れ合える」と思ったのが大きな理由。

この時、自分の中に「自分たちで水族館を作ろう!」という考えはなかった。

ボランティアで水族館の館長に

水族館の館長になったきっかけは、地域で「廃校を活用しよう」という活動をしている人たちの声だった。

「この地域では絶滅危惧種の保全活動が続けられてきたし、むろと廃校水族館を参考にしよう」という会議があった。そして、何年か保全活動を続けてきた私と研究者に声がかかったのだ。

その声がかかった日から3週間後、小さな小さな水族館を一般の人にお披露目した。この時、水族館を作る大義名分はなかった。とにかく「楽しそう」と思った──そう、勢いだったのだ。

会議があった日から毎晩廃校に行き、夜な夜な学校の備品を探した。図工室の椅子を見つけたときには、「この椅子の穴から生き物を覗き込む展示はどうか」と提案する。「じゃあ、どんな生き物を入れようか」………と毎晩ファミリーレストランで会議を重ねた。

開館日が近づくに連れて、「この展示どうしようか……」と口にはするものの、疲れで話が全然進んでいなかったことも、今では良い思い出となっている。

準備中のきんたい廃校水族館(提供:大橋一輝)

今考えると本当によくやったな、と自分でも感心する。

そこから私の水族館館長生活のスタートである。

ただし本業は会社員。その当時勤めていた会社は、もともとNPO法人のボランティアに参加していることは伝えていたし、館長になる話は特にちゃんと報告したわけではなかったが、館長をしていることがわかっても特に何も言われなかった。とても温かくて、いい会社だった。

“小さな小さな水族館”の完成

そして2019年12月「きんたい廃校博物館」がオープンした。

きんたい廃校水族館(提供:大橋一輝)

地域の絶滅危惧種をメインに、身近な生き物を知ってもらう、もしくは絶滅危惧種の保全に繋げる施設だ。

私も一緒に立ち上げた研究者も魚類が専門だったので魚類がメインとなったが、両生類や田んぼの生き物なども展示している。大阪府八尾市の魚類はそれほど多くないから色々な生き物を見られるイメージにするため、「博物館」という名前を選んだ。

流し台を活用した展示も(提供:大橋一輝)

展示は、水槽を並べるだけでなく、図工室の椅子や黒板、流し台なども活用している。10分あるとすべて見終わることができる、小さな小さな水族館だが、ありがたいことに滞在時間が1時間を超える方も多くいる。

図工室の椅子から水槽を覗ける(提供:大橋一輝)

通常の開館日には200人ほど、イベントを開催した時は400〜500人ほどきてくれる場所になった。

自分自身が大切にしていることの再認識

この水族館では、大きな水族館とは違い“来館者様とスタッフがたくさん話す”ということが特徴だ。開館時にルールを決めたわけではなく、自然とそうなっていた。

生き物の解説、来館者様が捕まえた時の話、保全の話、好きな生き物の話など、とにかくさまざまなことを話している。

話す機会がとにかく多い(提供:大橋一輝)

私が個人的に大切にしているのは、「生き物との出会いを楽しんでもらうこと」。

私自身、好きな生き物を聞かれると返答に困るくらいで、「この生き物のここが好きなんですよ!」と話すことはできないが、生き物の楽しさを話すことは得意である。

なので、「このフナ、クローンで増えるんだよ」「ウナギは毒があるから生では食べられないんだよ」といった“誰もが知っている存在のちょっと意外なこと”を話している。

フナの一種(提供:大橋一輝)

子どもだけでなく、親御さんが興味を持ってくださることも多い。きんたい廃校博物館での話がきっかけで「あの生き物にフィールドであってみたい」という子どもや「あの生き物がいるフィールドにいこう!」という親御さんが増えてくれると嬉しいと思う。

館長になって変わったこと

館長になって大きく変わったことが4つある。

まずは生活。本業である会社員の顔と、水族館の館長としての顔。この二つのわらじを履く生活は、想像以上に目まぐるしいものだった。

隙があれば企画を考えたり、備品購入に行ったり、生き物のお世話にいったりと目まぐるしくなった。基本的に限られた予算と時間の中で、他の業務もたくさんあるので基本的に忙しないが、頼りになるスタッフがいるのがとてもありがたい。

そして、そうやって完成した企画や展示が来館者様の楽しみに繋がっていることを時間できたときは心の底から嬉しくなる。

そして、水族館を見るときの視点も変わった。館長になってから他の水族館にいくことが増えたが、生き物をほとんど見なくなった。

「どうやって展示しているのかな?」「どんな情報発信をしているのかな?」「どうやって地域に開かれているのかな?」「どれくらいお金をかけたらこんな展示ができるんだ」と、明らかに水族館の楽しみ方として捻じ曲がってしまった。立派な職業病である。

好きな水族館にも変化があった。高校生くらいまでは、雰囲気や展示を見て楽しんでいたし、綺麗な水族館が好きだった。

しかし、館長になってからは、特に絶滅危惧種の保全や保全活動を推進している水族館が好きになった。そして、最近はそれに加えて、地域の情報を発信していたり、地域の人が参加できるプログラムがある水族館が大好きになった。

これは、フィールドの楽しさがあったから生き物の生息環境保全に関わってこれたことに気が付いたからだ。その楽しさを多くの人に届けている、もしくはフィールドの楽しさを伝えている場所に心底感動する。

自分の中の大切なことも変わった。

冒頭で生き物が好きだと書いたが、色々な来館者や他のスタッフと言葉を交わす中で、自分の本質を理解した。私には、特定の“種(しゅ)”に対しての強い愛はないのだ。私が愛してやまないのは、その生き物が生息している「環境」であり、身近な自然の中で泥だらけになって生き物を探す、あの「フィールドでの楽しさ」である。

フィールドはとにかく楽しい(提供:大橋一輝)

種類への愛着以上に、彼らが生きる自然環境と、そこでの宝探しのような体験そのものが、私にとって何より大切なのだと認識した。

この自分自身の根っこにある価値観に気づけたからこそ、「水族館という箱の中だけで満足してほしくない」という思いが、日増しに強くなっていったのかもしれない。

水族館はフィールドと人を繋ぐ媒体

私が館長になってよく質問され、印象に残っているのが「生き物に出会えるイベントはないですか?」という言葉だ。

自然との距離が遠くなってしまった現代社会において、子どもに自然体験をさせたいと願う親は多い。水族館の空間そのものを楽しむ人がいる一方で、生きた自然との出会いを求めている人も確実に存在している。

これは、保全をきっかけに生き物とフィールドに出会ってきた私個人的な考えだが、多くの水族館がその地域の生き物を展示している以上、フィールドへの関心を高め、実際に足を運ぶきっかけを作ることこそが、大切な役割の一つだと思う。

近畿のある博物館の出口付近には、「さぁ、フィールドに出かけよう」というメッセージが掲げられている。有名な施設の人が私と同じ思いを持っていると知り、感動したのを覚えている。同時に、自分の活動方針は間違っていないのだと勇気をもらえた。

水族館には教育や保全といった役割があるが、決して施設の中だけで完結させるものではない。館内の展示が魅力的であることは大前提としつつ、生き物と出会えるフィールドと人とを繋ぐ──そんな取り組みこそが、今の時代に求められているのだと思う。いかにして来館者をフィールドへと繋ぐか。それは私たち水族館を運営する側が、これからも知恵を絞り、挑戦していくべき課題なのかもしれない。

また、もう一つよく考えることが「水族館は作れる」ということ。私自身、大阪府八尾市の山手の地域の水族館の館長をする中で、「この地域の山手以外の生き物や他の地域の生き物も紹介して生き物の魅力を発信したい」という思いが芽生えた。

そして、 人が利用しなくなってしばらく経った長屋を借りて、新しい水族館を立ち上げた。これが「長屋水族館」だ。志を同じくする仲間と水槽を買いに行き、生き物を採集し、見せ方や集客を考え、週に1度開館する施設を作った。

長屋水族館(提供:大橋一輝)

最初は集客がうまくいかず、なかなか来てもらうことができなかった。

水道が壊れ、5万円の請求が来たり、電気がつかなかったり、寒かったり暑かったりというトラブルもたくさんあった。

しかし、SNSを活用しながら少しずつ来館者数が増え始め、水族館としてオープンし始めて半年ほどで、遠方からも人が来てくれる施設になり始めた。

これからは、地域の生き物を採集するイベントを開催していこうと考えた矢先、この水族館は閉業することになった。借りていた長屋が取り壊されることが決まったのだ。

どうしようもなかった。金銭面で余裕があったわけではないが、まだ続けられた。仲間とも協力しながら進化させていた。楽しんでくれる人も増えていた。悲しかったが「また違う場所でもっとレベルアップして再開しよう」と決意し、現在も諦めていない。金銭面、人手、時間など、大変なことは多いが、水族館は作れる。小さな施設でも楽しんでもらえる方法はある。

思いがあり、人の楽しみを生み出したいと考えられる人は実現は可能なはずだ。

水族館に訪れる方々も、少し視点を変えれば水族館で見られる生き物がもっと興味深い存在になる可能性がある。

次にみなさんが水槽の前に立つことがあれば、目の前を泳ぐ生き物たちの背景にある、リアルな自然の風景に少しだけ想いを馳せてもらえたらありがたい。

このエッセイが、みなさんの視点を少しだけ変え、生き物やフィールドとの距離を縮めるささやかなきっかけになってくれればと願っている。


おおはし・かずき●1993年生まれ、大阪府八尾市在住。近畿大学農学部環境管理学科卒業。

2014年よりニッポンバラタナゴの保全活動に携わり、2019年には「きんたい廃校博物館」を立ち上げる。2021年からは「Rhodeus」として個人事業を開始し、出前授業や環境教育活動を展開。2024年には「長屋水族館」の立ち上げや『八尾市の魚類図鑑』の作成を行い、2025年には自然体験コミュニティ「やおものがかり」を設立。現在は地域の自然環境保全や環境教育、フィールドワーク普及に取り組んでいる。

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