2026年7月28日、熊本県でマグニチュード7.1の大地震が発生し、震度7を観測する大きな被害が生じました。
連日届くニュースを見ながら、私が住む兵庫県で31年前に発生した阪神・淡路大震災を思い起こしました。
そのとき頭をよぎったのが「いかなごのくぎ煮」のこと。震災復興の過程で、支援してくれた人々へのお礼として、この“春の郷土料理”が全国へ送られるようになったと聞いていたからです。
毎年春になると、郵便局にのぼりが立ち、くぎ煮が全国へと旅立っていく──小さな魚が運ぶ「ありがとう」の歴史を解説します。
※本記事中には地震に関する表現が含まれます。
くぎ煮の原料となる<イカナゴ>とは
原材料のイカナゴ(学名:Ammodytes personatus)は、スズキ目イカナゴ科に属する細長い海水魚で、成魚の体長は15cm程度、最大25cm前後に達します。
イカナゴ(提供:PhotoAC)瀬戸内海の播磨灘や大阪湾に多く生息しており、12〜1月に水深10〜30mの砂底で産卵。春に生まれた稚魚は「シンコ(新子)」と呼ばれ、2月末〜3月の漁解禁とともに旬を迎えます。
また、6月ごろに水温が19℃を超えると、大群が一斉に砂の中へもぐり込んで「夏眠」に入るという、独特の生態も持っています。
くぎ煮の歴史と兵庫への定着
「くぎ煮」は生姜や醤油、砂糖でシンコを煮詰めたもの。その名称は、煮上がった姿が「錆びた釘が曲がったように見える」ことに由来しています。
いかなごのくぎ煮(提供:PhotoAC)水揚げ当日に炊き上げることが鮮度の証とされており、くぎ煮づくりはまさに鮮度との勝負でもあります。
発祥は90年以上前
くぎ煮の起源は古く、1935年(昭和10年)の文献にすでに「くぎいり」として登場しています。
神戸市長田区の駒ヶ林周辺が発祥地のひとつとされており、この地では1000年以上前からイカナゴ漁が行われていたとも伝わります。
もともとは漁業関係者の家庭で作られる濃い味付けの料理でしたが、1980年代ごろから明石市の漁業協同組合の女性たちが家庭向けにレシピを改良し、料理講習会を通じて広く普及させていきました。
農林水産省の「農山漁村の郷土料理百選」にも選定されていて、兵庫県の春を代表する食文化として根付いています。
阪神・淡路大震災が「お礼の文化」を全国へ
いかなごのくぎ煮が全国的に知られるようになったきっかけのひとつが、1995年に発生した阪神・淡路大震災です。
震災後の復興の過程で、全国から駆けつけたボランティアや支援者へのお礼として、地元の人々が自家製のくぎ煮を発送するケースが増えていきました。
いかなご水揚げ(提供:PhotoAC)もともと親戚や知人への贈り物として「くぎ煮」を送り合う文化はありましたが、震災後をきっかけに発送先が全国へと大きく広がり、「兵庫の春といえば“いかなごのくぎ煮”」という認知が各地へ伝わっていきました。
被災地を支えた人々へ、春の味覚を通じて感謝を届ける──食べものが「ありがとう」の器になることを、しみじみと感じた瞬間でした。
春になると郵便局に「のぼり」が立つ理由
毎年春になると、兵庫県内の郵便局に「いかなごのくぎ煮 送るなら郵便局へ」というのぼりが掲げられます。
このキャンペーンは「兵庫県イカナゴ謝恩実行委員会」と郵便局が連携して2005年ごろから始まったとされており、神戸・阪神地域、播磨地域、淡路地域の各郵便局で展開されています。
窓口では専用の収納容器が販売されていて、レターパックを使って全国に一律料金で発送可能。専用のケースは2023年時点で毎年1万個以上が売れているといいます。
自宅でくぎ煮を炊き、レターパックに詰めて郵便局へ持ち込むという、震災復興を機に生まれた「お礼の文化」は、今日まで受け継がれています。
今も変わらず全国に送られる「くぎ煮」
「いかなごのくぎ煮」が毎年、全国各地に届けられる背景には、阪神・淡路大震災の支援に対する感謝という歴史が息づいています。
2026年の熊本地震の報道をきっかけに、その歴史をあらためてたどってみると、この春の小さな魚が「ありがとう」を運ぶ器であることを改めて実感します。
砂の中で夏を越すイカナゴが毎年春に姿を現すように、感謝の気持ちも31年たった今も変わらず、全国へと送り届けられています。