小宮さんが考える「保全」とは
━━━〝保全〟とひと口に言っても、その範囲を明確にするのは難しいのではと思います。小宮さんの場合、何のために何を保全することを目的に考えていますか。
小宮:非常に難しい話題ですね……。教科書的な答えをするんだったら、人間のためというのはもちろんあるとは思います。生態系サービス(食料、繊維、燃料など、生物や生態系から得られる恩恵による資源)みたいなものを維持していくために環境を守らないといけないよねっていうのは間違いないと思っていて。そのことは有明海を見ると説明しやすいとは思います。
例えば有明海は昔、〝豊穣の海〟と呼ばれていただけあって、やながわ有明海水族館がある柳川市だけでも、昔は缶詰工場が5社もありました。そこでタイラギやアゲマキなど有明海で捕れる貝類を漁獲して加工して、中国に輸出してたんですね。それらは大陸系遺存種(中国の黄海や東シナ海の沿岸などの干潟に共通して生息する生物)で、中国沿岸と同じような種類が有明海に移り住んできて、今取り残されてるという状況なので、あの生態的に独特な有明海というのは、中国という巨大な市場のための資源を昔から持ってたんですよね。ですから、昔から有明海沿岸で捕れた豊富な魚介類は中国や韓国に輸出されていました。
有明海の環境の悪化は1990年くらいから始まって、13000tもあった漁獲量が、今では3000tを下回っていて、かなり厳しい状況になっています。昔、5社もあった柳川の缶詰工場も今は1社も残っていません。生態系の悪化が、地域資源の崩壊につながっているんですね。でも食文化は残るじゃないですか。有明海でアゲマキやウミタケを食べたりエツを食べたりとか、そういう文化は残っているので、今は韓国産のアゲマキを輸入してるという状況なんです。
それって昔は私たちの地元が持っていた地域資源で、しかも外貨を獲得できるという優れたものだったのが、今は海外から買わないといけなくなっているという。
それが広い社会という目で見た時の損失ですし、逆に私みたいな生きもの好きからすると、アゲマキがいるような海って一体どれだけ豊かだったんだろうという話になります。昔はアゲマキを餌にハゼクチを釣っていたという話ですから。「今、1個150円とか200円とかするアゲマキを餌にハゼを釣ってたのか!」みたいな。そんな豪勢な餌がゴロゴロいたので、昔は40~50cmのハゼクチが普通にいたそうです。
今はアゲマキもいないし、ハゼクチも30cmを超えたら大きいと言える状態です。逆にハゼクチをアゲマキで釣れるような世界を取り戻せるんだったら、それって絶対に楽しいじゃないですか。そんな贅沢な餌を使って釣りをしてみたい(笑)。そういう環境は、もちろん地域資源という側面からも、すごくプラスになる――そういったところが保全と社会を結びつける範囲なのかなと思います。
━━━現在、SDGsの推進などから環境問題への取り組みも進められていますが、今の状況をどのように見ていますか。
小宮:個人的には、世の中はこれから変わっていくだろうと思っています。それはなぜかと言うと、例えば10年ほど前に比べたら小学生がSDGsを知っているような世の中になってるわけじゃないですか。海のプラスチックゴミ問題も、みんな当たり前のように知っているし。環境問題っていうのが20、30年前だと、熱心な人だけ取り組む課題だったのが、今の世代もしくは今の社会って、「こういう課題がある」という共通認識みたいなものは持つようになってきてるのかなとは思っています。「問題が発生している」ということまでは、みんな知っているというか。そこからどれぐらい熱心に取り組むかが、これからの分岐点かなと思うんですけど、問題として認知されたというのは、10年ほど前と比べたらとても大きな違いと言えます。
高校時代に「環境保全とかやってないで、ちゃんと勉強しろ」と言われていた自分が、同じ学校から、「ブラジルチドメグサの駆除について調べ学習でするので教えてくれませんか」と、私がOBだということも知らずにお呼びがかかったこともありました。「これだけ状況が変わったんだ」と、ちょっと衝撃だったりもしましたね。そういう意識レベルのところから少しずつ良くなっていくんだろうな、というのが1つあります。〝30by30(サーティバイサーティ)〟が採択されて、2030年までに国土の30パーセントを生物多様性の保全に資する地域にしていきましょう、ということになっているのも、良い方向に向かっていると言えますよね。
海外での事例としては、2021年から始まった中国・長江での禁漁が興味深いです。完全に禁漁をして、その効果が最近見え始めました。ガンユイという淡水の頂点に立つような巨大なサカナがダムの上から見えるようになった、という話もあります。それだけ巨大なサカナが出始めたということは、その下にどれだけのサカナが復活してきたんだろうかと。そういったところでも、世界各国で「やっぱり生物多様性を守っていかないといけないよね」という空気になりつつあるんだろうなとは思っていて、10年後、20年後になれば、生物多様性保全が今よりもっと重要視されるんじゃないでしょうか。
ただ、私たちが現場で保全活動をしいて心配しているのは、10年後に「守らないといけないよね」という意識になって具体的に動こうとしても、守るべきものが全部いなくなっているかもしれないんじゃないか、ということです。今、私がやろうとしているのは、かろうじて残っている消えかけの生きものたちのいる方舟みたいな自然を10年後に残すための活動です。この活動は場所によって対処の仕方が変わるので、局地戦のようなことを続けていかないといけません。